形意拳 中国武術拳藝会

お知らせ

 この度,拳藝会のホームページが2011年8月末日をもって移転することになりました。これを機に当会の新たなイメージ認知の必要性とその向上を願い会名を「武学推拡拳社」と致します。
 またこれに伴い今まで拳藝会のホームページが担っておりました機能も2011年9月より下記新ホームぺージに移転いたします。お問い合わせ先地区に変更もございますので、今後は新ホームページのお問い合わせ先のご利用をお願いします。

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形意拳

意拳の特徴

 形意拳は、一般的に五行拳(劈拳、鑚拳、崩拳、炮拳、横拳)という陰陽五行説 の五行で表した五種類の単式(1~2動作の短い型)を母体とした拳法で、その応用変化として、十二形拳(龍形拳、虎形拳、猴形拳、馬形拳、黽形拳、鶏形拳、鷂形拳、燕形拳、蛇形拳、鳥台形拳、鷹形拳、熊形拳)と呼ばれる十二種類の動物をかたどった象形拳を基本とした教習体系を持っている門派(流派)です。また、それ以外の代表的な套路(型)では、五行連環拳雑式捶四把捶(鶏形四把拳)、十二横垂拳八字功(正門八字功・奇門八字功)、出入洞(出洞入洞)などがあり、二人一組で行う対練套路(型)には五花砲五行砲安身砲散手砲五行相剋拳などがあります。しかし、これらの套路(型)の教習は、各派や系統によって多少の違いがあるようです。また、兵器術武器術も槍術を中心に、剣、棍、刀が伝承されている系統が多いようです。


 形意拳の技術体系には、見栄えのするようなモーションの大きな大技はきわめて少なく、外見からは、シンプルな動作で習得の簡単な拳法のように見えます。しかし、その外形は、無駄を極限まで省いた形であり、姿勢や打法の要領をすべてみたす事は非常に困難だと云われています。また、三体式(三才式)という後実前虚の歩形、姿勢を重視し、跟歩(こんぽ)という前方に大きく踏み込む歩法(フットワーク)を多用します。


 形意拳の実戦においての用法は、円錐交叉法とも称される攻撃と防御が一体となった技法を用います。これは、槍術においての技法と同様の術理でもあります。また、蹴り技については、主に相手の下半身を蹴り込む、八極拳の斧刃脚に似た蹴りを多用し、前述したようにモーションの大きな蹴り技はほとんど見られません。

 形意拳の創始者は、清朝末期の名人で、「神拳」とも称された「李飛羽」(李洛能、李能然とも呼ばれている。)といわれています。異説はありますが、形意拳は李洛能が山西省の名家であった戴氏一族より「戴氏心意拳」を学び、大成後独自の創意工夫により作られたと云われています。
 この形意拳の元になったといわれる心意拳は、宋代末期の英雄である「岳飛将軍」によって創始されたという伝説があります。また、現在河南省に伝わる「心意六合拳」が母体になっているという説もあり、はっきりとした事は解っていません。しかし、実質的な創始者は、明代末期の武術家で、「神槍」とも呼ばれていた名人の「姫際可」(姫隆峰)であるという説が有力なようです。これ以外にも、「太極拳」や「八卦掌」の創始者だという伝説をもつ「張三豊」が創始者であるという伝説もあります。また、姫際可は「嵩山少林寺」において教授した事があり、これが現在の「少林心意把」であるという説もあります。

 形意拳の現在の伝承は、大きく分けて「河北派形意拳」、「山西派形意拳」に分類されています。また、前述した河南省の「心意六合拳」もかつては「河南派形意拳」と呼ばれており、形意拳の一門派とされてきました。


形意拳は、近世において「郭雲深」などの多くの名人を輩出した門派です。また、郭雲深の弟子の「王向斉」(王薌齋)は形意拳を元に、独自の創意工夫により「意拳」(大成拳)を創始しました。また、この意拳を学んだ日本人である「澤井健一」は、「太気拳」(太氣至誠拳)を制定し、日本に伝えました。このように、形意門には多くの名人がいます。下記にその一部を紹介いたします。

姫際可
戴龍邦
李洛能
形意拳の開祖であり、「神拳李」とも呼ばれた名人。商用で山西省小韓村に訪れた際に「戴龍邦」より「戴氏心意拳」を学び、形意拳を作る。一時期護院(ボディーガード)の職を務め、その際に「車永宏」「宋世栄」などに形意拳を教える。また、後に故郷の河北省深県帰った時に「劉奇蘭」「郭雲深」などの優れた弟子を育成した。

車永宏
劉奇蘭
宋世栄
郭雲深
河北省深県の生まれで、一説によれば、貧しい鋳物鍛冶の家に生まれたと言われています。後に「李能然」の門下に入り形意拳の教授を受けました。彼は、多くの他流試合を経験し、敵に半歩踏み込んで五行拳の「崩拳」を発するだけで敵は皆倒れた為、「半歩崩拳、あまねく天下を打つ」と賞賛されたと云われています。また、彼は兵法書を好んで熟読し、特に「奇門遁甲」にすぐれていました。彼が教授した生徒も多く、その弟子には、「李魁元」、「錢硯堂」、閉門弟子で「意拳」を創始した「王郷斎」、「孫式太極拳」を創始した「孫禄堂」、半歩崩拳の呼び名を継承した「尚雲祥」などがいます。

李存義
幼少より「長拳」、「通背拳」などの拳術を学び、後に「劉奇蘭」より形意拳を学びました。さらに「郭雲深」や、八卦掌の「董海川」からも学び大成しました。彼は、「単刀李」の通り名で呼ばれるほどの名人で、1912年には、袁世凱大統領の親衛隊の武術教官であった「李瑞東」に招かれ、天津の「中華武士会」の教務主任となり、つづいて「王薌齋」「孫禄堂」「尚雲祥」と共に「南洋学校」で武術の教授を行いました。また、1918年、ロシア人ボクサーと試合をし、勝利したという逸話をもっています。

張占魁
尚雲祥
「郭雲深」「孫禄堂」らと共に、「形意拳の近世三大名手」の一人に数えられる、実戦の逸話や伝説を数多く残す形意門の英雄です。彼は、1864年に鐙職人の家に生まれ、初め北京で「馬大義」より「功力拳」を学びました。後に、「李存義」より形意拳を学び大成しました。彼は、北京の五城兵営において匪賊の取り締まりなどを行う「捕盗官」の仕事に従事しました。また、宮廷に使える宦官の長であった「李總管」の護院の職にもついています。後に、彼は天津にて「郭雲深」より教授を受け、「半歩崩拳、あまねく天下を打つ」の代名詞を引き継いだといわれています。

孫禄堂
清末民初の武術家で、形意拳と八卦掌の達人であり、「孫式太極拳」の創始者でもあります。彼は、「郭雲深」より形意拳を学び、「程廷華」から八卦掌を学び大成しました。後に、「武式太極拳」の「郝為真」からも学び、内家三拳の合一論を提唱しました。著書には「形意拳学」「八卦掌学」「太極拳学」「拳意述真」などがあります。

姜容樵
陳泮嶺
王樹金
孫剣雲
王薌齋
彼は、少年時代に「郭雲深」の閉門弟子(最後の弟子)となり、形意拳及びその核心である「站樁」、踐鑚裏の老三拳と龍虎の二法を学び、また、師伯にあたる「張樹徳」より古傳の大槍を学びました。後に、独自の創意工夫の末に「意拳」(大成拳)を創始しました。彼の弟子には、「趙道新」、「韓星垣」、「姚宗勣」、日本人唯一であった「澤井健一」などが有名です。

澤井健一
1903年福岡の生まれで、柔道5段、剣道4段、居合道4段であったといわれています。後に中国に渡り、当時、国手と称されていた「王薌齋」より「意拳」(大成拳)を学びました。彼は、この意拳の養成法である「立禅」に注目し「揺」、「這」などの練習法を加え、「太気拳」(太氣至誠拳)を創始しました。また、日本に帰国してから、「極真会館」の創始者である「大山倍達」とも親交があったようです。

会の特徴と系統

 当会の教習は、李書文系の「八極拳」が中心になっています。しかし、術理、技術、戦闘理論において「形意拳」と近い部分があり、或いは、形意拳の影響を少なからず受けており、そのため形意拳の教習も同時に行っております。

 当会の形意拳の系譜は、「河北派形意拳」の「姫際可」より始まり、「李洛能」「李存義」「尚雲祥」と続く系統であり、比較的古伝のものを継承しております。一般の形意拳が、斜にかまえた自然体から動作が始まるのに対して、当会の形意拳は正面に打ち出し始めます。このことにより、他派に比べ旋転動作が大きく、力の発生方法が理解しやすい反面、一つの動作に複数の力の方向性が同時に発生するため、より難易度の高い系統だともいえます。これは、恐らく、「心意拳」から形意拳が発生した直後の形を色濃く残しているのではないかと考えております。

ディアで見る形意拳

 形意拳は、現在「太極拳」や「八卦掌」と共に教習される事が多く、このことから、一般にも知られるようになって来ているようです。しかし、体系や型の動作があまりにも簡素なため、ある程度の中国武術や伝統武術の経験がある者以外には理解されずらく、動きの地味さからテレビ、映画などでは取り上げにくい部分があるようです。しかし、表現方法の違いからか、ゲームや漫画ではわずかに取り上げられ、漫画での知名度は大きくなってきているようです。下記に一部を紹介いたします。

漫画
「からくりサーカス」」、「夜の歌」(掌の歌)、「史上最強の弟子ケンイチ」、「魔法先生ネギま!」「拳児」など


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