教習・流派の特性についての考察│中国武術拳藝会

お知らせ

 この度,拳藝会のホームページが2011年8月末日をもって移転することになりました。これを機に当会の新たなイメージ認知の必要性とその向上を願い会名を「武学推拡拳社」と致します。
 またこれに伴い今まで拳藝会のホームページが担っておりました機能も2011年9月より下記新ホームぺージに移転いたします。お問い合わせ先地区に変更もございますので、今後は新ホームページのお問い合わせ先のご利用をお願いします。

新しいホームページはこちらです→LinkIcon中国武術 武学推拡拳社

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教習についての考察

ここでは、当会の教習方法について、一つの考えを述べさせていただきたいと思う。

武術の上で上達するには、三つのプロセスをたどる。
まず習い練習し、そして、工夫することである。
このなかで一番重要なことは、ひとそれぞれ考えは違うであろうが、私論を言わせていただくならば、練習である。

つまり、数をかけて反復することである。

中国武術の場合は単式や套路(型)によってこれを行う。しかし、この単式や套路を学ぶ時、各動作の形を厳密に制定することはあまり良いこととは言えないと思う。もちろん初心者にはこのような教習も必要であるが、ある一定期間を過ぎた者にとってはマイナスになる場合がある。

なぜならば、個人が考える余地を奪う事になるからである。

重要なのは、各動作の細かい動きではなく、なぜそのような細かい動きを必要とするかにある。その根本的な意味の抜け落ちた教習は套路、型を形にしてしまう。我々が考える良い教習とは、各動作の基本的動きと根本的な意味のみを教習し、各動作の細かい動き、ニュアンスについては各個人で考え、工夫し、自分自身で構築していただく事だと思う。そのために必要なのが練習である。頭の中だけで考えた理論は机上の空論でしかないからだ。練習の中で自分で見つけた物こそが、その人にとって本物の技術であり、習っただけのものは身につくことはない。また、教師より習った技術は、その教師の技術であり、万人のものではない。同一の人間は二人としていない。体格もちがえば性格もちがい、当然得意とする戦闘法も違ってくる。つまり、教師が自分の技術を押し付ける事は、上達を阻害しかねないのである。

しかし、ここで問題も生じる。自分勝手に学生が技術を改ざんする可能性である。これは根本的な意味より外れた、という意味である。したがって、教習する側は根本的な意味より外れないようにし、かつ個人の特性を理解させる教習が必要になる。

しかし、このバランスを保つ事は容易ではない。当会ではこのような教習を理想と考え、実現させたいと考えている。

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流派の特性についての考察

武術、格闘技にはそれぞれに特性があり、戦う想定が存在する。

 それは、発達した状況とか、環境が大きく影響を及ぼす。
中国武術、特に現代の日本に伝わっている武術は清朝末期前後に制定されたものが多い。つまり、その当時の中国文化、当時の価値観、当時の歴史的状況の中で発達した技術だという事であり、その当時に必要とされた物のみが発達したという事である。

このように、環境が技術の発達に大きく影響を与える。

 例えば、田舎と都会の武術に大きな違いが生まれる事がある。一概に全てとは言えないが、その一つは歩法である。

 なぜ、歩法に違いが出るかというと、多くの場合都会は地面が舗装されていることが多いが、田舎はそうとは言い切れない。
舗装された場所で発達した武術は比較的フットワークが軽い。それに対して、田舎で発達した武術、特に昔の形を色濃く残している武術はフットワークが軽いとは言えない。別にどちらが優れているという事ではなく、発達した環境、つまりその状況下にあった形の技術が発達しただけの事ではないかと思う。

 フットワークの軽い武術が舗装されていない、ゴツゴツとした山道や斜面で動くのは制限があるし、その逆も環境に影響されるであろう。
 このように、発達した環境による影響が、その武術の特性という形で潜在的に内在しているのではないかと思う。

 現在、日本には数多くの武術が伝わっているが、現代の日本にマッチするとは限らない。それは劣っているのではなく、現代の環境と、その武術の想定が大きく異なっているからである。